「中庸」を求める
何か健康にいいことをしよう・・と思った時に、何がいいのか、何が自分にあっているのかわからなくなることがあります。
特に食事。いろいろな情報があふれ、真っ向から反対の方法もあり判断に迷います。
炭水化物がいい・よくない
1日に2食がいい・3食がいい
朝食は食べた方がよい・食べない方がよい
菜食がいい・肉食がいい
玄米食はいい・よくない
食に関する場合、それを徹底して行い、体質にあわないと健康を害することもあるので、慎重さが必要です。
でも、その基準がわからないので迷います。
その方法が自分にあっているかどうか・・・
食をはじめ、物事には「性質」というものがあります。
対象をどのように働かせるか・・ですが、
冷やす・暖める
締める・緩める
緊張させる・リラックスさせる
上昇させる・下降させる
速める・遅くする
濃くする・薄くする
高める・鎮める
広がる・求心する
など、いろいろな要素が組み合わさっています。
仮に、何かの食事療法をして、すこぶる体調がよくなったとすれば、その方法自体が万人にとってよい方法なのではなく、その本人のマイナス部分を補う「働き」があったからなのです。
たとえば、身体が冷えている人が、暖める作用のある食事を中心にすれば、調子はよくなるでしょう。
ところが、熱がこもってしまう人が同じ食事を続ければ、さらに暖めるわけですから、むしろ体調が悪くなっていきます。
その場合、自分には合わないと判断して、その食事をやめればいいわけです。
問題は、この方法はブームだからとか、名前の通った人が推奨しているから・・などの理由で、頑なに続けてしまうことがあることです。
さらに、その方法でいったんは調子が良くなった人の場合も問題があります。
一度その方法で良くなると、自分にあっている・この方法は確かだと確信してしまいます。
前述したように、マイナスの部分が補われたから調子がよくなったのです。
それを程よいところで止めずに、ずっとずっと同じことを続けていれば、今度はプラスの部分に入り込んでいきます。
「最近、前のような調子よさがないな・・むしろ、不調な感じになっている」・・と感じていても、「これはよいはず」という思い込みが自分の感覚の声を聞けなくしてしまうのです。
マイナス(不足分)の部分とプラス(過剰分)の部分の中間点が「中庸」です。
この部分にもっていくことができるような健康法が望ましいのです。
カロリーが過多になっている人は、プチ断食や菜食の日をもつ
エネルギー不足の人は、肉食を増やす・朝食もしっかりとる
ダラダラとしがちな人はシャキシャキと動く
せかせかと動きっぱなしの人は、何もしない時間を持つ
つまり何が「健康」にいいかの答え、特に「正解」を求めてしまうのですが、答えは「人それぞれ」。
その人でも、今の状態によって、変わってきます。
以前行って調子がよくなった健康法も、体質や年齢・生活習慣の変化次第で、今もいいものとは限りません。
今の自分の立ち位置や、身体の状態がどうであるかを見極める。
不足しているのなら、加える働きを。
過剰になっているのなら、差し引く働きを。
そして、バランスのとれた状態にもっていく。
真の健康とは、ある一定の状態でとどまっていることではありません。
周りの環境や状況次第で、マイナスやプラスに振れてしまったところから、「中庸」の場所に戻ってくる力があることが健康なのです。
健康法は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
何が過ぎて、何が及ばないのかを知ることからですね。
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